ボリバルと「謎の未知の人物…」(1/3)

これは、ウーゴ・チャベス大統領自身が、ラテンアメリカ独立の英雄シモン・ボリバルについて書いた記事である。

ボリバルと「謎の未知の人物…」

2009年6月1日
ウーゴ・チャベス・フリアス

ボリバル

革命の本質を求めて、我々の父であるボリバルがどれほど深く動いて回ったか驚くべきことである。「自由な人間という謎の未知の人物の発見」とボリバルが言ったように。この大いなる任務において、ボリバルは自らの思想を過去2世紀にわたる偉大な知識人や哲学者の前に提唱した。ボリバルの最も進んだ考えが、どのように社会主義と呼ばれる素晴らしい川へその水を流し込んでしまう巨大な斜面を形成するのか本当に驚くべきことだ。

これはまさに平等の問題において起こることである。これを確認するために200年のツアーへ招待しよう。

ブラジルの思想家テオトニオ・ドス・サントスは、その著書Concepto de clases sociales (『社会階級概念』、El Perro y la Rara(編)出版)の中で、「複数の集団への区別できる個人の基本集団としてのブルジョワ社会の主張は、ブルジョワ思想の一部でなければならない(中略)この主張は、まさに社会の階級的性質を隠し、すべての個人へ平等な機会を提供する社会を前提とするブルジョワジーの本質的利益を表現する。」と言っている。

機会の平等、全くそのとおりだ、しかし増大する経済、法的権力の不平等、そして不平等な状況を過度に生み出す物質的特権によりいっそう基礎を置いた。

120年前、カール・マルクスは、1875年に書かれた『ゴータ綱領批判』の中で次のように述べた。

「逆説的に言えば、社会主義の終焉として現れるものは、厳密には、人と人との間の不平等、大志や才能の不平等、人格の不平等の全体的発展である。しかしこの個人の不平等は、もはや経済力の違い、あるいは物質的権利または特権の不平等を意味しないであろう。それは、物質的、経済的平等の空気においてのみ広げられる。」

そして我々のボリバルは、マルクスの56年前、1819年、アンゴストラで以下のように絶妙な明確さで指摘した。

「私の意見として、議員のみなさん、我々の制度の根本原則は、ベネズエラで築かれ、行使される平等に直接、そして独占的に依拠する。(中略)自然は、才能、気質、体力、個性において人間を不平等にする。人に社会の中に居場所を与えることにより、法律がこの違いを是正し、よって教育、産業、サービス、道徳が人に架空の平等、正式には政治的、社会的平等を与える。国家にすべての階級を一つにまとめることは、種の繁殖に比例して多様性が増えるところにおいて著しく有益な励みである。この一歩で残酷な不和が根絶されている。嫉妬、敵対心、憎悪がどれほどこうして避けられたか!」

これらが、我々が更に思想史を学び、人類の、そして人類のための偉大な思想化について、(イエス・)キリストからフィデルまで、更に深く理解する理由である。これが、毎日更なる強さと責務を持って、我々の革命が今まで以上にボリバル的であるゆえんである。

(つづく)

原文URL:http://www.venezuelanalysis.com/analysis/4489
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