ホンジュラスの民主主義は、下からのみ主張できる

ジャーナリストのアル・ジオダーノ氏は、ホンジュラスのクーデター政府の裏には麻薬密輸に関わる組織犯罪がいるとし、クーデターを打ち破ることができるのはホンジュラス市民の力であると自身のブログで述べているが、これは7月22日の記事の翻訳である。

ホンジュラスの民主主義は、下からのみ主張できる

アル・ジオダーノ

2009年7月22日 午前8時49分

この機器を解決するのは、ホンジュラス人民である…ホンジュラス人民の良心が目覚めている。我々は平和的抵抗を続ける。

ラファエル・アレグリア 2009年7月21日

今日、公式の仲介者でコスタリカ大統領オスカル・アリアスが、ホンジュラスの和平会談のために宣言していた72時間の延長の時間がゼロとなる。進展あるいは合意の可能性を示すものは何もない。

延長発表時、アリアスは声に出して問いかけた、「武器を持つものの一人が兵士を撃てば何が起こりますか?あるいはもし兵士が武装した市民を撃てば?ホンジュラス人民にふさわしくない内戦や流血があるかもしれない。」それはおそろしくナイーブで目をそらさせる発言だった。なぜなら事実は、兵士は既に武器を持たない市民(7月5日、イシス・オベド・ムリジョ氏)を射殺している。アリアスは、間違った台本を持っている。

ロイター通信のレポーターであるシモン・ガードナーとエステバン・イスラエルは、月曜日に『ホンジュラスで高まる圧力、暴力の恐れ』と題する記事を出した。

暴力の脅しは、一時的に暴力を見えなくさせる、そして脅迫の領域、検閲、基本的民主的権利の剥奪の中で(軍がテレビ・ラジオ局を占拠する中で、クーデター政権は、公然と会合の自由、結社、移動、適正手続き、礼状なしの住居親友からの自由という憲法で認められた権利を停止している)、しかし暴力は、潜在的な形でも暴力である。

課題は、(上のほうにある優先事項であるかのように)どのように暴力を押さえ込み、見えないように隠すかであってはならない、むしろどう武装解除するかだ。

ホンジュラスのクーデターに対する市民の抵抗を助長する社会運動(労働者、農民、学生、民族的・人種的少数派、そして人権のための諸組織)は、彼らがそれを「獲得する」ことをこの25日間で示している。

ジョナサン・トリートがNarco Newsにテグシガルパ南部における先週木曜日の幹線道路を以下のようにリポートした。

「都市の南入口での非暴力行動は、数百人の人びとが集まってくるまで人びとは朝から集合し、昨日と同じように始まった。彼らはそして交通を遮断する幹線道路の重要地点まで行進した。途中で行進する人びとに対して見物人の何人かが侮辱する言葉を浴びせた。デモ参加者の一人がそれに対して屈みこんで石を何個か拾い上げる。彼はすぐに何人かの行進のリーダーらに囲まれ、彼らは行進が平和的であることを言い聞かせ、石を置くよう促した…」

言い換えれば、彼らが「反乱」(この権利は政府を「武力」によって制圧する「強奪政権」に対してホンジュラス憲法第3条に保障されている権利であり、クーデター政権に完全に当てはまる法律上の定義)を言う時、反乱を組織するものに広まっている解釈は、誹謗欲の方法によって達成が可能であり、達成されるということである。ホンジュラスの歴史上、ガンジー、あるいはキング牧師、あるいはシーサー・チャベス[メキシコ系アメリカ人の著名な活動家]を投影する偉大な物語も人物もないことを考慮しても、これは歴史的に言ってとても大きな発展である。

北米出身で20年以上ホンジュラスでホンジュラスの家族と住み、養育している男性は、昨日Narco Newsに対して「こんなに多くの人びとが奮い立ったのを23年間ホンジュラスにいて見たことがない。社会革命が生まれているんだと思う。ついに。」と語った。

マヌエル・セラヤ合法大統領の自らの国への予定された帰還を思いとどまるよう求める昨日のフィリップ・クローリー米国国務省報道官のような発言は、良心をとがめることがないかぎり暴力の状態を維持するための見え透いた努力異常の何ものでもない。恐怖は、暴力そのものではなく、よりそれが目に触れられるようになることだ。

市民が国境あるいは橋を歩いて越えたり、ボートをドックに入れたり、ホンジュラス領内へ航空機で着陸することに何も暴力的でないことは明白だろう。暴力の唯一の可能性は、もしクーデター政権が最初にその市民(この場合、国の選挙で選ばれた大統領)の自由を攻撃あるいは剥奪しようとすることによって暴力を働けば、である。上からの恐怖は、クーデター政権によるそのような行為は、潜在的暴力をその残虐性のすべてにおいて世界中に見えるように公開するようなものである。(首都あるいは、オランチョの彼の牧場へ安全に到着するか、または再びすぐに誘拐されて刑務所へ入れられるか)非合法政権の拒否に反して母国へ入る選挙で選ばれた大統領の心理的な力は、もちろん市民の抵抗を活気付け、そして数が更に増え、よって更に恒常的に幹線道路、工場、プランテーション、そしてクーデター政府の議場を閉鎖する能力が増す。

上から示された「恐怖」や偏見(アリアスからであろうが国務省からであろうが)は、クーデター政府の基盤全体が暴力とその脅威による支配であるというそんな暴力が起こりうるのではない。それは、古典的先進国のリベラル派の誤解である。フィル・オクスの歌『愛してくれ、私はリベラルだ』の中の「私は黒人やヒスパニックに大賛成だ、彼らが隣に引っ越してこないかぎり」にあるように、彼らは暴力という時限爆弾を解除する犠牲(そして歴史的にそれを見えるようにする弾圧)を見ないかぎり非暴力を支持する。

クーデターは、暴力の化身、残虐行為、人道に対する犯罪である。ホンジュラス・クーデターについてある意味で唯一民主的であることは、今やすべてのホンジュラス市民にわたって振り分けられた暴力と弾圧を民主化していることである。

ホンジュラスの社会運動は、この25日間、彼らが麻薬密輸と元キューバ人犯罪組織とテロリストネットワークとの取引を通して足らない分以上に稼ぐことができる(それ故に月曜日の更なる制裁で脅すクリントン長官の電話に対してゴリラのボスのミチェレッティは公に一蹴した)政権に対する外からの制裁よりも、より効果的で現実的なクーデターを武装解除するための実際の計画を持っていることを見せている。ギャラップ世論調査やその他の指標は、ホンジュラス市民の多数(46%)がクーデターに反対し、小さな少数派のみ(30%)が体制を支持していることを示している。そしてこれらの数字もまた(クーデターによる国内情報の流れの統制のピーク時に測られた)調査が行なわれた7月はじめの数日間、ホンジュラスのすべての批判的なメディアの閉鎖によって抑えられた。現在の正確な世論調査は、(今はチャンネル36、ラディオ・グロボ、ラディオ・プログレソやその他独立系メディアは自らの市民的抵抗を通じて電波を取り返している)クーデターに対するより大きな反対と支持の縮小を示す可能性がとても高い。

時が来れば、クーデターに対する国際的連帯は、単純に道を開けることによって、ホンジュラスの人びとが彼らの民主主義を再び主張することを可能にし、そして暗闇の中で起こる事がないように彼らの新たな歴史の一歩ずつを性格に報道、翻訳することによって抵抗を最も良く援助できる。

民主主義は、外からあるいは上から押し付けることはけっしてできない、ましてや制裁によって。もし完全な外からの制裁が加えられたら「クーデターは一日で崩壊するだろう」という一部の一般的提案は、既に過去の記事で私が要点を述べて繰り返した多くの理由によりナイーブで不正確だ。それが我々全員が既に学んだと思ったレッスンだが、見たとおりそうではない。

民主主義は、しかしいつも下から主張することができる、組織された人びとが立ち上がる時に。それがホンジュラスの次の章で最高の(そしておそらく唯一の)希望である。

—–原文——

Honduran Democracy Can Only Be Asserted from Below
Posted by Al Giordano – July 22, 2009 at 8:49 am
By Al Giordano

“It is the people of Honduras who are going to resolve this crisis… The conscience of the Honduran people has awakened. We continue in our peaceful resistance.”
– Rafael Alegría, July 21, 2009

Today the clock counts down to zero on the 72-hour extension that official mediator and Costa Rican President Oscar Arias had announced for Honduran peace talks. There is nothing that indicates any breakthrough or agreement is possible. (continue…)

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